『黄色い線の外側』
PM8:00、駅のホーム。
帰宅ラッシュはとうに過ぎて、
電車を待つ人はまばらで、
入り込む雨が冷たくて、
踏切の音が遠くに聞こえた。
そして。
線路を挟んだ向かいのホームに、
昔の誰かの幽霊を見た。
覚えている。
声も、住んでいる場所も。
誕生日だって覚えてる。
忘れてない。忘れていない。
それなのに、
あの子の名前は、何だったっけ。
あの時感じた不安と痛みは、
随分薄っぺらくなってしまった。
きっと僕は、そうしないと生きられなくて、
だからきっとこれからも、
同じように誰かの名前を忘れていくのだ。
幽霊は、静かに佇んでいた。
あの頃と何も変わらない姿で。
何も変わらない三つ編みで。
静かに、静かに佇んでいた。
「頭では忘れても、心と体が覚えてる」
「その経験がいつの日か、貴方の背中を押してくれる」
誰もが一度は耳にする話。
それは、とても素敵な話。
忘れることは悪くないと、
優しい救いに満ちていて。
その勘定に、彼女はいない。
心配する方が馬鹿らしいのか。
引き摺る方が恥ずかしいのか。
誰かが幸せにしてくれたなんて、
僕には、とても思えないんだ。
罪を棄てながら生きている。
その無責任な言葉と同情を、
投げ捨てながら生きている。
忘れながら、生きている。
結局、名前は何だったっけ。
幽霊は、静かに佇んでいた。
あの頃と何も変わらない姿で。
黄色い線の向こう側。
静かに、約束を待っていた。
そして電車が、彼女の姿をかき消したのだ。
以下、作品解説等。
福岡ポエトリー 4月回 発表作品
罪を棄てる話です。
昔、仲の良い友達がいました。
中学の頃に知り合った友達でした。
少し遠くに住んでいる子だったので普段はLINEやチャットで話していました。直接出会ったのは2回。1回目にとんでもなく猫を被っていて、2回目会った時に面食らったのを覚えています。
直接会った回数こと少なかったものの仲は良かった方と思っていたのですが、ある日急に音信不通になりました。
私の周りの友達も、誰一人連絡が取れなくなって。
「何か嫌われることをしてしまっただろうか」「何か悪いことに巻き込まれていないだろうか、大丈夫だろうか」などととても不安になった覚えがあります。
同い年。誕生日は4月1日。母子家庭。最寄り駅は羽犬塚。
猫を被る時はコンタクト。素の時は丸メガネ。
しょうもないことばかりを覚えていました。
名前だけが、思い出せません。
別に、今更彼女が心配だとか、会いたいだとか言うつもりはないのです。
もう私には関係のないことですし、彼女にとってもいい迷惑です。
別に恋していたというわけでもないですし、
今から私に彼女を捜す理由なんてありません。
ただ、
「ああ、あんなに心配していたのに。
こんなに、簡単に忘れてしまうものなのか」と、
それが、どうしようもなく息苦しく感じます。
「忘れるのが怖い」と言うと、
「人は忘れないと生きていけない」
「思い出せないからといって、大切にしていなかったというわけではない」
と返されます。
私もその通りだと思います。過去の経験は、忘れてしまっても心と体が覚えている。
でも、それは「今の私」の話です。
一方的に心配して、勝手に忘れて、
その癖「あの出来事は今の私の糧になってるから」だなんて。
私は、お前なんかの為に生きているんじゃないと、
彼女と、何よりあの時毎日を地獄のように生きていた私自身が、
亡霊のようにそう叫ぶのです。
どれだけ理詰めて考えていっても。
どれだけ無理やり納得させても。
今の私はそれで良くても、
一度後ろを振り返ってしまった時、
どうしようもなく息が詰まりそうになるのです。
そうやって少しずつ忘れることを恐れて、
どんどん薄っぺらくなっていって。
本当に笑っちゃうなぁなんて思いながら、
彼女の幸せを無責任に願うのです。